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Hey8朗
短編
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黄昏の豚
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 三年前、十七歳の秋。 かねてからの夢だった絵描き。 才能だと自負していたのに、周りの反応はどうも希薄で。 夢を叶える為、喚く母を背に手荷物一つで家を飛び出した。 居間で無愛想に新聞を読んだままの父の背中が、妙に印象的だった。 深夜の駅前に並べた絵。 誰も見向きもしなかった。 初めから上手く行くはずは無い。 時間が経てば、成果もあがるさ。 そう信じ、知り合いの家を転々としながらアルバイトで生計を立てた。 初めて手渡された薄っぺらな茶封筒。 自信と誇りが一杯だったよ。 やっとの思いで借りたワンルーム。 誰にも干渉されない、自分だけの城。 一人立ち出来たんだと、このとき証明出来た気がしていたんだ。 そこには誰もいないのに、証明出来た気がしていたんだ。 それからというもの、不満ばかりが募っていった。 アルバイト先では対人で悩み、気付けば愛想笑いを繰り返すようになっていた。 それでも生きる為には働くしかない。 病気になる暇さえも無かった。 絵なんてもう随分と描いていない。 『遊んでいても、腹は減るんだな』 父の皮肉めいた、呟きが聞こえた。 些細な苛立ちを覚える。 同時に同意している自分がいた。 あの時は理解できなかった父の胸中を知った気がした。 腑に落ちない思いで、少々歯がゆかった。  誰に言うわけでも無く、ただいまと呟く。 静けさから耳鳴りさえ聴こえたワンルーム。 一人暮らしも、馴れたものだった。 小さな円卓の上に散乱したビール缶、弁当、ペットボトル。 どれがいつの物かさえも、もう判別出来やしない。 こんなはずじゃぁ……。 冷たい壁に寄りかかり、膝を抱えながら呟く。 当初は、新生活に希望を持っていたさ。 何もかもが自分の思い通りになると思っていたさ。 『どこにいっても一緒だろう』 一瞬の気の緩みを突いて、父の言葉がこだまする。 いつもそうだ。 その度、酒を買ってきては「違う、そんなはずは無い」とあの日の言葉を繰り返す。 「やってみなきゃ、わかんねぇだろ……」 嫌に自分がちっぽけに見えた夜だった。  薄給に不満が募る。 とは言え、新しい仕事を始めるには何かとお金が必要だった。 貯金なんて、ありもしない。 夢見て飛び出したはずが、現実に埋もれている自分に嫌気をさした。 そんなある日の事。 覚束無い足取りで夕飯を済まそうと出かけた際に、偶然父と再開した。 何を話すわけでも無く、互いに少しやつれた顔を並べて歩いたものだった。 「うまくやってるか」 街のざわめきに消え入りそうな嗄れ声が懐かしく感じる。 「別に」 素っ気無く返す。 聞いた父も無愛想に「そうか」と短く返す。 再び訪れる沈黙に、募る思いで一杯だった。 「何となく、親父の言ってた事分かる」 するりと喉を抜ける言葉。 足を止めた父を見て、随分と気恥ずかしかった。 「そうか」 言いながら、溜息をついた。 「お前は変わらないな」 髪を不器用に掻き回す、太く、短い指。 この時俺は、すごく不細工な顔してたんだと思う。 「自分で選んだ道だろう」 諭す様な口調。 その一言で、肩の荷が下りた気がした。 「ドーナツ」 言いながら差し出した箱。 半ば強引に胸に押し当てられた。 「食え」 黙ってそれを受け取ると、無意味に何度も頷く。 涙で霞んで街並みに消えて行く父の背中、ありがとうと投げかけた。 暫く胸に抱えたままになっていた箱を開けると 同じドーナツが三つずつ、二列に並んで箱詰めされていた。 「これ、家族で食べるつもりだったんだろ……」 父の不器用な気遣いが珠の様な涙となり、拳を濡らした。 ──三年後、現在。 「行って来る」 あの頃、永遠に続くと思っていた日々。 思いのほか、時が経つのは早かった。 人として未熟なまま迎えた成人式当日。 実家から出席するとは夢にも思っていなかった。 「ちょっと、待ちなさい」 白髪交じりの母はサンダルをパタパタと鳴らしながら歩み寄る。 「ネクタイ、曲がってるわよ」 「あ、あぁ」 空を見上げる。 深く、真っ青な空。 薄く、適当に引かれた白い雲。 意識は自然と、これまでを振り返っていた。 ここに至るまで、確かに平坦では無かった。 だけど、生かされていると理解した。 一人で生きていたのではないと、気付かされた。 今まで感じた苦しみも喜びも。 その全ては、両親のおかげであったんだと気付かされた。 「お父さんのスーツ、似合うじゃない」 母は茶化すような口振りで言った。 返す小言も見つからず、そのまま背を向ける。 「いってらっしゃい」 「行ってきます」 俺は、歩み始めた。 確かに、未熟で半人前だけど 誇りを持って、生きて行こうと。 今よりも、自分らしく生きる為に。 自分らしく、ある為に。 「ほんと、誰に似て無愛想なんだろうねぇ」 「あ、でも照れ隠しなのよね?」 「……ね、お父さん」 『おまけという名のボツシナリオ』 1ヶ月前。 取り乱した母からの電話に、頭が真っ白になった。 父が、突然倒れた。 車のアクセルを踏む足が、小刻みに震える。 頭を巡るのは「どうして」の一言。 どうして、親父が? どうして、こんな時に? どうして、俺が。 どうして、これ程に取り乱す。 どうでもいい、関係ない。 そう、思っていたはずなのに。 どうして、こんなにも焦っているのだろう。 どうして頑張れって呟いたのだろう。 狭苦しい病室に横たわった父の横顔。 威厳なんて言葉は、さっぱり似合わなかった。 落ち着かない様子の母、こんな形で再会するとは夢にも思っていなかった。 手持ち無沙汰に後手を組んだ担当医。 「過労です」と、文字通り他人事の様に言った。 過労。 その言葉に酷い罪悪感を覚える。 自分がしっかりしていれば……。 違う、そんな事あり得ない。現実逃避でしかない。 目の前に横たわる父が、現実なのだ。 違う……。 こんな事を考えていても仕方ない。 何も変わらない、何も変えられない、奇跡なんて起こらない。 今、何をすべきだ?今、何が出来る? あの日見上げていた父の顔を見下ろす。 いつも真っ赤にして怒っていた顔も、今では薄っすらと蒼白い。 すっかり扱けてしまった頬、口煩かった面影も無い。 「パレットって、あるだろ」 乾いた唇から、擦れた声が聞こえた。 一定の電子音に乗せて、ゆっくりと言葉を続ける。 空を掴む様に伸ばした手。 力強く真っ直ぐに伸ばした手。 「 絵描きになる夢、その絵の具を一つ、パレットに出した 楽しくて始めた事も、時には辛く感じるだろう でも、見てみろ まだまだパレットには空きがある 実家の事、学校の事、アルバイトの事、勿論絵だって、何一つ無駄ではない 全てが混ざり合って、こんなにも明るいお前だけの色を作ってるからな 好きな絵の具から、出せばいい 好きな色から、塗ればいい 一枚のキャンパスに、好きなだけ乗せればいいさ 」 言いながら、髪をクシュクシュと掻き回してくれた。 今も、忘れる事は無い。 父の最期の言葉。