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Hey8朗
短編
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黄昏の豚
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深夜、前触れも無く彼女は目を覚ました。 波打つ意識の中、半ば機械的に身体を起こす。 換気扇から漏れる光が埃を照らす殺風景なワンルーム。 外は相変わらず、ざわめきと闇に包まれている様子だった。 小さな冷蔵庫のドアを開けたまま、ミネラルウォーターのキャップを捻る。 口に含めば指先にまで染み渡ってゆく、冷ややかな感覚が心地良かった。 (夢) こぷ、と小さな音を立てテーブルに置かれたペットボトル。 キャップを指先で押し揺らしながら想い馳せる。 (また、あの夢) 近頃、立て続けに同じ夢を見る彼女の胸中は漠然としていた。 疑問や恐怖はなく、その真意を求めようともしない。 ただ、漠然といつからか始まった繰り返しの中に居る。 それが、彼女の役目だったから。 (私は、夢を見ている) 朝。 ぼぅ、と外の景色を眺めながら思い出していた。 ……夢。 先月中頃から見るようになった。 同じ繰り返しばかりの、夢。 何ら変わらぬ繰り返しにも関わらず、常々纏わり付く倦怠感。 静まり返る世界。 遊園地の入り口が見える、横断歩道。 家族は談笑しながら渡っている。 それを随分と後ろで見ていた私は、ハッとして追いかける。 視界が流れる。 鈍い音、朱に染まるアスファルト。 目に映るは談笑に興じる家族の背中。 いかないで。 私は叫ぶ。 声は出ない。 いかないで。 更に叫ぶ。 身体が動かない。 いかないで。 尚も叫ぶ。 意識は薄れていく。 それっきり、夢は覚めない。 長い間、夢は覚めない。 何度も、繰り返し見た夢。 何度見ても現実に思える、夢。 あの家族は、誰? 私はなぜ、あの人達を家族だと思う? それに夢の中の私は……。 私じゃない。 いくら思考を巡らせたところ、答えの欠片すら掴めない。 だから、この夢に考える時間は費やさない。 何度見ても動悸が止まらない、この夢の事を。 …………。 「へぇ、不気味だなぁ」 彼は銜えたままになっていた煙草に火をつけながら言う。 読みかけの雑誌をソファに投げ、足を投げ出す様は、相談相手として少々だらしなくも思えたが 久しぶりの休みにも関わらず、友人との約束を断ってまで様子を見に来てくれたのだ。 今日は大目に見てやろう。 「私はそう思わない」 「どうして?」 どうして。 彼の言葉を小声で繰り返す。 ざっと考えては見たものの、適切な形容詞は見つからなかった。 「何となく、かな」 コーヒーを啜りながら返す。 確かにこの夢、少し不気味だ。 私も、かつてはそう感じていた。 思う度に、たかが夢だと自身をなだめる。 繰り返している内に、何も感じなくなってしまった。 「随分と客観的なんだな」 呆れたような口ぶりだった。 私も少々緊張感に欠けていたのかも知れない。 いつもなら言い返す言葉も、今日は喉元で飲み込んだ。 冷たい壁に頬を寄せ、煙草の青白い煙をぼんやりと眺める。 暫く無言の時が流れた後、彼は立ち上がりながら外を指差す。 「遊園地、行ってみるか」 「もう、本当にあるかどうかさえ分からないのよ?」 所詮、夢。 なんの根拠も無い私の妄想を具現化した世界の話なのだ。 「無ければそれでいい、あれば何か分かるかもしれない」 「確かにそうだけど……」 言ったきり語尾を濁す。 私は、怖がっているのだろうか。 心のどこかで、あの夢が『現実』である事を恐れているのだろうか。 ──私は思い出す。 ──静まり返る、あの夢の事を。 「それでは、手始めに話を聞こうか」 探偵気取りの彼に適当に相槌を返し、ノートにキーワードを纏める。 道程。 風景。 看板。 家族構成。 驚くほどに鮮明に記憶している。 臭いさえも立ち込めるリアルな風景に痛みを覚えた程だった。 「よし、これだけキーワードがあれば見つかるだろう」 彼は胸ポケットから携帯電話を取り出し、どこかへ連絡を始める。 やれやれ、妙にフットワークが軽いんだから。 溜息をつきながら覗いた外は、琥珀色に染まり始めている。 程なくして、終話を告げる歯切れのよい電子音が聞こえた。 「見つかったよ、遊園地」 聞けばそう遠く無い場所の様だった。 「どうする?」 休日の遊びだと思えば少しは気が楽になる。 所詮夢、気負いする必要など無いんだ。 「うん、行こう」 「よっしゃ、鍵は?」 エンジンをかける仕草をしながら彼は言う。 「机の2段目の引き出し」 「おいおい、この家には机ないだろ」 「嘘?」 指差した先、机は無かった。 奇妙な感覚、何か大切な事を忘れているような……。 「まー、引越しして日が浅いから仕方ないか。で、どこ?」 「……あ、うん、ごめんなさい。ジャケットのポケットよ」 椅子にかけられたままになっていたジャケットを指差した。 近頃、仕事が忙しくて疲れているのだろう。 だから夢を見たり、錯覚が起こったりする。 心霊現象なんかじゃない、疲れているだけ。 そう、疲れているだけ……。 海沿いの道を、おんぼろの車は音を上げる。 乾いたエンジン音と潮騒が入り混じる車内。 ラジオから聞こえる知らない音楽に鼻歌を乗せて、ただ只管走り続ける。 「そうだ」 唐突に彼は口を開いた。 「時々思うんだ」 「何を?」 彼は正面を見据えたまま話を続ける。 「こういう時間が大切なんだろうなー、って」 「何それ」 はにかんだ笑顔が印象的だった。 「辛い事も確かにある、だけどこうやって穏やかな時間があるって幸せだよな」 「……そのセリフ、ちょっとクサいよ」 「茶化すなって、真剣なんだから」 ──夕日が二人の横顔を照らす。 ──こんな時間がずっと続けばいいなと、少しだけ思えた。 「あ、ここじゃないか?」 ハザードランプを点灯させ、路肩に車を寄せる。 見覚えのある、横断歩道、観覧車、看板。 忘れかけていた風景に胸が踊る。 「うん、合ってる」 夢と一寸の狂いも無い風景を歩く。 少し向こうに見える、波打ったコンクリートの横断歩道。 私が、夢で歩いていた横断歩道。 「本当にあったんだ……」 一つだけ、夢と違う箇所があった。 信号機の下に、花束が置かれている。 「事故も本当にあったんだ」 私はしゃがみ込む。 ぬいぐるみや、飲み物、沢山の御供え物が置いてあった。 何度も書き直した後のある『やすらかにおねむりください』と書かれたカード。 どれもまだ真新しい。 「俺達も供養してやるか」 背を向けていた彼が言った。 夢で見慣れた風景に溶け込む、見慣れた背中。 違和感が付きまとう。 「ねぇ。私達、いつから一緒に居るの?」 「何だよ急に」 なぜか、自身でおかしな事を言っているよう思えなかった。 むしろ核心に迫る言葉、そんな気がした。 「私は何の仕事をしてるの?」 「おい、やめろ」 ──私の家に机はある。 ──私は引越しなんてしていない。 ──私は現実から逃れようとしていた、ただそれだけ。 「ごめん……、思い出しちゃった……」 そうだ。 私は夢を見ていたんだ。 何の起伏も無い、平坦な日々を。 夢見ている。 幸せな、日常を。 ──小さな病室に鳴響いた無機質で一定の電子音。 ──家族の泣き声と混ざり合い、夜に消えていく。