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-------------------------------------------------- ◆ 砂時計~刻限~《TimeLimit》 --------------------------------------------------  「お疲れ様です」  オフィスに誰かの声が響く。  『お疲れ様です』  それに反応し、他の社員達が口々に返事をしていく。  その中でも、一際慌ただしくデスクの片付けを終わらせようとしている彼女は焦っていた。 今日は、田舎からやってきた学生時代の友人と一緒に飲みにいく予定で街を案内しなければならない。  時刻をもう一度確認する。 「ちょっと~、もう、17時05分じゃないっ」  待ち合わせは、17時30分ここから二つ離れた駅の改札口付近で待ち合わせのはず、17時12分の電車に乗り遅れるとその時点で遅刻は確定だ。 幸い、会社から駅までが徒歩3分のところにあるのは助かる。今出れば間に合う。だが、信号につかまってしまうと乗り遅れる。 「よし!お疲れ様です!」  今年流行の鞄を肩に掛け、出口へと足を急がせる。  その時、ふと未だ片付けを始めようとしない男性社員が視界に入った。 (あの人、いつも残業ね…かわいそうだな…)  そう何気なく思いながらも、彼女の足は速度を緩めることなく会社出口へと向かう。 外に出ると風が肌に凍みる。ふと空を見上げると橙と紺のコントラストが綺麗だった。 蛇が巣から出てくるように色々なビルから帰宅する社員達が出てきては駅へと向かう集団に加わっている。  皆、コートで風に耐えながら黙々と足早に駅へと向かっていた。彼女は腕時計で時間を確認しながら、その集団へと加わっていく。  改札口を通りホームに彼女が着くのと電車が来るのは同時だった。間に合ったと安堵を浮かべた表情で彼女は電車に乗り込んでいく、 この時間滞の電車内は会社員や学生達で押し詰め状態だった。  足早に歩いたせいだろうか、彼女の額には玉のような汗が浮かんできている。 (何だか暑いな…暖房が効きすぎてるのかなぁ)  少しの距離しか歩いてないのに体も何か倦怠感を感じていた。それに加え先ほどから何か息苦しさも感じる。 眩暈が加速していき、ついには目の前が真っ暗になった。 彼女の目に最後に映ったのは、次の駅までの到着時間を砂時計で表している電光掲示板だった。 (もうすぐ待ち合わせの駅か…) 意識は、すぐに暗闇へと落ちていった。  何の支えも無く満員電車の中で急に倒れた彼女に他の乗客たちは慌てながらも、何とか次の駅で彼女を降ろす。 駅員達は救急車を駅へと呼ぶ、彼女の意識は戻ることも無かった。  駅に救急車が到着した頃、駅前には彼女の友人達が既に到着していた。 「何かあったのかな?もしかして、人身事故?」 ベンチに腰を下ろし携帯画面を見つめていた女性が言う。 「やだぁ、怖い事いわないでよぉ。あの子あの電車に乗っていたのかな…」 携帯片手に立ち上がっていた女性が答える。 ベンチに座っていた女性は、友人が倒れていることを知るはずもなく到着時間が気になり、すぐにメールを送った。  その頃、会社の誰も使用していないデスクの上ではマナー状態にしてある携帯が光を発している。 そんな事に残業中の男性が気づくはずも無く、ついに携帯は光を発さなくなっていた。  そう、待ち合わせに急いでいた彼女は携帯をデスクの上に忘れたままだったのだ。  その頃彼女は、駅からすぐ近くの市立病院へと運び込まれていた。 直ぐに救命治療が行われる。治療の結果判明した病名は、『肺動脈血栓栓塞症(はいどうみゃくけっせんせんそくしょう)』。  治療が遅れると急死する可能性も高いこの病気は、主に旅行者病と呼ばれ、長時間座っていたりすると下肢で血栓が出来、 急に歩き始めたりすると、下肢で出来た血栓が静脈壁から剥がれ肺へ送り込まれ、肺動脈が塞がれ全身に血液が巡らなくなる。  発症すると、急に眩暈や息苦しさが襲ってき、塞がった肺動脈の範囲が広ければ重症で発症後30分以内に心肺停止の恐れもある怖い病気なのだ。  幸い、彼女はさほど重症でもなく迅速に治療が行われたため助かった。 ベッドの上で彼女は、瞼越しに光を感じ眼を開けた。 「ん…ここは何処…」  掠れた声で彼女は呟いた。 眩しく感じていた光に次第に眼が馴れてくる。  白のカーテンに白いベッド、真っ白で清潔感溢れる部屋。 軽く思考をめぐらせ、すぐに病院だと気づいたようだ。  カーテンを割って白の衣装に身を包んだ人が入ってくる、看護士だ。 「おはようございます。眼が覚めたようですね」  慣れているのか、反射的に喋ったのがわかる。 「私、どうしたんですか?」  それから、看護士に彼女がどこで倒れ、どういう症状だったのかが説明される。 その間も看護士は、手を休めず手に持っていたクリップボードに何かを書き込んでいる。 「体温を測らせていただきますね」 そういいながら、看護士はポケットから体温計を取り出す。  体温計と一緒に出てきたのは砂時計だった。 彼女は不思議に思う、砂時計なんて何に使う必要があるのだろうかと。 「砂時計、気になりますか?」 あたかも彼女が不思議に思うのがわかっていたかのように少し微笑みながら問いかけてくる。 「一体何に使うのですか?」 言いながら、彼女はカップラーメンでも作るのだろうかと馬鹿げたことを考えてしまう。 「この砂時計は、10分測定でカップラーメンより長い時間を計るんですけど。  私は患者さんに楽しんでもらうのも含めて体温測定の時に使っているんですよ。」 と看護士は言う。どうやら、この看護士は体温測定に水銀体温計を使っているらしい、 10分間あれば水銀体温計は正確に体温を測れる上にその10分間砂時計を楽しんでもらいたいのだと言う。 「純粋に砂時計って見つめていると、意外に心が落ち着くんですよ。  一度、試してみてください。」 そう言いながら、看護士は砂時計をベッド横のサイドテーブルにひっくり返して置いた。  誰もが一度は眺めたことがあるだろう、時を刻み始めた砂時計を見て彼女はすぐに思い出す。 自分が倒れる直前に眼に映った、次の駅までの時間を表している砂時計の電光掲示板。 それに重ねてすぐ思い出す、待ち合わせ場所に行けなかったことに。  (連絡しないと・・・)  そう思いながら、自分の鞄を探す。見当たらない。 気づけば自分の服装もいつの間にか変わっている事に気づく、病院の患者に支給される服だ。  案外簡単に探すのを諦める。頭がなんだか重いし、なければどうしようもない。  再び、砂時計に眼をとめると砂時計の砂は既に半分ほど下に落ちていた。 時を刻み終えた砂時計は、何の役にも立たない。ただの置物だ。  それと同じように、自分の心臓もついさきほど鼓動を終えていたかもしれないと思うとぞっとする。 今こそ鼓動が止まることは無かったが、いずれ死ぬときには刻み終える鼓動。  砂時計…含まれている砂に少しでも不純物が混ざっていれば、それは下へ降りることも出来ず時を刻むのを止めてしまう。 もしかしたら、自分の砂時計にも不純物が混ざっていてそれが今日時(鼓動)を刻み終えようとしていたのかもしれない。  刻限…待ち合わせまでの刻限、仕事が終わるまでの刻限、そして命の刻限。 何者にも必ず刻限はある、そう考えると物それぞれ人それぞれ万物には砂時計があるのかもしれない。  フランスでは、砂時計は死のイメージとして墓標に象られたりしている。 死のイメージ、砂時計が時を刻み終えるように生もいずれ『Time Limit』が訪れるからだ。  彼女は、自分の砂時計の容量は後どのくらいなのだろう。そんなことを考える。 気づけば砂時計の砂が時を刻み終えていた。しかし今、自分の鼓動はまだ動いているのだ。  これからは、不純物が含まれないように…自分の心臓(砂)が鼓動(時)を途中で刻み終えないように……。 「おはようございます。…あら、寝ちゃったのね」  彼女は、安らかな顔でベッドに体を預けていた…。 その横では、つい先ほどひっくり返されたばかりと思われる砂時計が時を刻んでいた…。 ── 今も世界のどこかで砂時計は時を刻み終えようとしている ── 終